【ネタばれあり】残虐すぎる燕山君が描かれている「七日の王妃」

 溜め撮りした「七日の王妃」20話分を二日間で駆け抜けて視聴しました。いやー、こんなに残虐な王がいたんだ・・・と、なんども目をそむけながら見終えました。実はクロスステッチの刺繍をしながらなので、ずっとテレビを凝視していたわけでもなく、むしろちょうどいいくらいでした。

 「チャングムの誓い」は私にとって初めての韓国ドラマだったのですが、そこに登場している中宗の若い頃(晋城大君、チンソンテグン)、王に即位するまでの兄(燕山君、ヨンサングン)との確執をシン・チェギョンという女性を兄弟で奪い合う恋愛模様も交えストーリーにしたものです。韓国史上最悪の暴君と言われる燕山君がどのように壊れていったか、残虐、非道だったかがこれでもか!というくらいに描写されていました。全部、演技だよね、特殊撮影とか加工とかだよね・・・と思いつつも、ちょっとリアル過ぎて音だけでも十分身の毛もよだつほどの怖さでした。

 晋城大君とチェギョンのラブストーリーでもありますが、個人的にはこんな恋人/夫婦はあり得ない、少なくとも政略結婚ではないのだから、こんなお互いに隠し事をしながら疑いあう関係がちょっと理解しづらく、感情移入できなかったです。実はそのあたりをとっぱらってしまうと、この二人の純粋な恋愛感情というのはほんとにわずかな時間でしかなく、結局ストーリーのほとんどはお互いがお互いの腹を探りあう、隠しごとを秘めているだけなんだな、と思うとちょっと興ざめしてしまいました。だから、今回も胸キュンがありませんでした。なにしろ、晋城大君が口頭では好きだ、好きだと言っておきながらもチェギョンへの配慮や心遣いがほとんどなく、ちょっとバカにしてんじゃないの?と思うくらい。贈り物をする、優しい言葉をかける、女性として思いやる、一緒に時間を過ごせるように配慮するなどがほとんどなく、チェギョンの片思い?と思わせるほど。結局、密旨(みっし、先王の遺書)目的にチェギョンを利用しているだけと思えない行動の数々。むしろ、燕山君の方がチェギョンへの優しさを垣間見せてくれました。

 チェギョンも天真爛漫なヒロインではありますが、そこまで賢いわけではなく、個人的にはその思慮のなさがいろんな事件を引き起こし、晋城大君を窮地に立たせているという自覚に欠けていることに、ちょっと腹立たしさを覚えたところもあります。両班(リャンバン、身分制度の一番上の貴族相当の身分)の出でありながら、世の中のことを知らなさすぎ、自分の置かれている立場を理解しなさすぎ、あまりにも無知。こんな人が国母として王妃になっていいものか?と疑うほどでした。そういう演出がこのストーリーの動力になっているのかもしれませんが、ちょっと行きすぎのような気もします。

 むしろ、暴君だった燕山君の方がよっぽど人間っぽい、ただ愛情に飢えた王様だったといえます。幼い頃に実の母親が父親である王様に疎まれて廃妃として亡くなってしまい、異母兄弟の晋城大君が愛情たっぷりの中で育ったのとは対照的に愛情不足の中で育ったせいもあって、精神的に未熟で不安定な王様になってしまいました。ただでさえ、孤独な王という立場であるのに、王自身が精神的に未熟であるために、人を信用することができず、疑念、疑念、疑念の塊になってしまい、自分のことを一人の人間として愛してくれる存在に恵まれなかったのが暴君になってしまった原因のひとつと言えるみたいです。チェギョンと燕山君が最初に出会ったときは、王様だとは知らずに接したこともあり、唯一チェギョンだけが人間として接してくれることに恋心を抱き、知らず知らずのうちにこぼれてくるチェギョンへの優しい気持ちや態度がとても胸をうつものでした。でも、本人はそれが恋だとも知らず、どんどんチェギョンを追い込んでいくところが暴君故なのですが・・・。

 そして、この暴君を演じたイ・ドンゴン、私は初めてみる俳優さんでしたが、途中から本当に燕山君が憑依して俳優さんが乗っ取られてしまったのではないか、目の前に本物の燕山君がいるのではないかと錯覚するくらい、ものすごく迫力のある演技でした。端正な顔立ちで、背も高く、精神的な不安定さは別としても、剣を持たせても弓を持たせても武術にたけており、とても頼もしい、かっこいい王様でした。それが時々、病気のように何かがきっかけで精神的に不安定になると、耳を疑うような発言、しいては王命を発動して暴挙にでてしまうのです。精神的に不安定になる要因のひとつにはチェギョンが否定できません。もちろん、本人もチェギョンも側近も気づいていないようですが。愛情に飢えているがゆえに晋城大君に嫉妬し、自分の王座が奪われるのではないかと疑心暗鬼で心穏やかでない状況が続いているのです。誰も信じることができないし、かといって強い信念や精神力を持っているわけでもないので、反対されると否定された、自分の存在が疎まれたと勘違いして殺戮を繰り返してしまうのです。そんな狂気の王様をイ・ドンゴンは見事なほど演じきっていました。私は、燕山君が時々正気に戻り、にじみ出るチェンギョンへの恋心のほうがとても貴重なものに見えました。そういう難しい役を完璧なまでに演じたイ・ドンゴンに乾杯ですね!

 それにしても、この王座をめぐるドラマは何度みても本当にむなしいなと思います。どこかのドラマでは「浮生」と言い表していましたね。王座に無限の可能性と最大級の希望を描いていたはずなのに、とても窮屈で、できることは限られており、本当の欲望を満たせるものではなく、孤独で、建て前で飾られた人形でしかないうえに、今度は追われる側になって王座が奪われるのではないかと疑心暗鬼になるというのも、その座についた人の共通認識・体験。自分だけは違う、自分は変えられる、と期待しつつも結局変わらないという現実。とても裕福でなんでも持っているように見えるけど、人間として人間らしく生きていくことがかなわない悲劇が何度も何度も繰り返されていることに人間らしさを感じます。時代や国は異なってもどこでもこの状況は変わりませんね。何かを得るためには何かをあきらめなくてはならない、と言われますが、まさにこの心境でしか納得せざるを得ないのでしょう、現代になっても。

 公と私との葛藤。みんなこの二つの側面をもって生活していますが、おそらく王座についた人は公がほとんどで私は皆無であることをあきらめなくてはならない、というのが常なのでしょう。これは今の時代にもそのまま言えることで、そのバランスから得られるもの(地位や報酬など)に影響しているのです。多大な地位や報酬を求めるのであれば、私の部分はあきらめなくてはならない。ここで無理をするととてもアンバランスなことが生じて、ひずみが起きる。自分が納得できるバランスはどこなのか?それを考えさせられました。

 韓国歴史ドラマは何本も見ましたが、同じような顔ぶれが多い中、全くと言っていいほど知らない俳優さんばかりでとても新鮮な感じがしました。個人的には、ヒロインのパク・ミニョンは日本の女優さん、ちょっと名前は失念しましたが・・・にとても似ていて、しょっちゅう入れ替わってしまいました。特に、イ・ドンゴンはこれからも注目していきたい俳優さんです。