【ネタばれあり!】「輝くか、狂うか」を見終わった(その1)

 私は、1年半前くらいに、韓国歴史ドラマの「麗」というのを見て、ちょっと感動しました。これは、高麗時代の初期のお話です。主人公のワン・ソといういずれ「光宗」という皇帝になるお話ですが、光宗皇帝というのを初めて知ることになり、いろいろと興味を持ちました。ただ、あくまでも史実の残っていることは点だらけ。それらをうまく取り込み、イケメン俳優をふんだんに投入した現代風なアレンジやらラブコメなどもあって、なかなか面白かったです。

 この「輝くか、狂うか」も同じワン・ソが光宗皇帝になるまでのお話なんだけど、また全然違う視点と雰囲気で描かれているのが興味深かったです。俳優さんももちろん違うし、恋愛の相手も全然違う。

 結局のところ、ワン・ソが皇帝になるために献身的にサポートした?支えた?女性がいたのか、いなかったのかはわからないけど、それが仮にいたら・・・というのがどちらにも共通するテーマなわけです。前者は現代からタイムリープ、後者は同じ時代のやり手の商人。個人的にはどちらもストーリー的には好きでしたね。「麗」についてはまた語る機会があればと思うのですが・・・。

 「輝くか、狂うか」は何が面白いか?それは光宗皇帝がいろんなプラスの改革をその時代しては初めて行ったため、名君と言われることもあるのですが、その反面「血の君主」とも言われているのも事実なのです。なぜ、この相反する2つの表現がこの皇帝にはあるのか?それが、このドラマの中では「血の君主」にならなくてはならない理由が語られているのです。

 「血の君主」というと血なまぐさい跡目争いの末になった君主というイメージがありますが、そうではないのです。豪族によって私物化され始めている国を皇帝の元に統治させ、民のための国家を作るためには血を流すほどの改革と決断力が必要だった、ということなのです。普通は、名君、聖君とうたわれたいのでそんなことを敢えて歴史に残すようなことをしないのが賢明といえるのでしょうが、権力が薄れつつある皇帝の存在、家畜のように扱われる民を見るに見かねての決断だったのです。そういう意味では、「血の君主」は必然的で、聖君の別名といってもおかしくないのではないでしょうか。

 ・・・というのが、この「輝くか、狂うか」のテーマであり、そこまでの経緯を語ったのがこのドラマなのです。ただ、残っている史実はわずかなため、実際はどうだったのか、なぜ「血の君主」にならざるを得なかったのかは本当のところはわからないですね。

 さて、キャスティング的なことに触れたいと思います。ワン・ソにチャン・ヒョク。ヒロインのヤン・シンユルにオ・ヨンソ。チャン・ヒョクは、「運命のように君を愛している」を見て知っている俳優さんで、とても大声で声を響かせるようにユニークな笑う方をする人です。少々下品に映るかもしれませんが、これがコミカルな側面を見せていると思います。でも、芯は太く、体もがっしりしていて、雄々しいけど、イケメンといううらやましい限りですね。(私の好きなタイプ♪)おそらくドラマの中でのアクションシーンもかなりこなしているのではないかと思います。結構頻繁に飛んだり跳ねたり、馬に乗って走り回ったり、大きな刀を振り回しています。これだけ時代劇の少なくなった日本と比べると、韓国の若手俳優さんはなんでもできないと出してもらえないのではないか?という事情すらうかがえます。器用な俳優さんが多いと思います。オ・ヨンソは、私は初めて見る俳優さん。なんかどっかで・・・と思うところもありますが、いかんせん韓国の方のお名前がどうにも覚えられず(好きなチャン・ヒョクすら怪しい)、あーあのドラマに出た〇〇ね、で覚えているくらいなので。

 後はこのドラマを観る上で重要な文化的、歴史的な事情をひとつ。韓国の歴史ドラマを観ていると、いつも思います--皇帝が意外に弱い。奥さんに頭が上がらない、奥さんの実家がすぐにしゃしゃりでる。記憶に一番新しい徳川幕府の江戸時代と比べても、なぜこんなに皇帝が弱いのかわかりません。皇帝の強さというのは、婚姻をした奥さんの実家次第ということなのです。

 その証拠に、高麗を建国した太祖(たいそ、もしくはワン・ゴン)は、婚姻でしか皇帝としての権力を維持することができず、なんと記録上でも6人くらいの奥さんと婚姻していて(29人くらいいたのではないかという説も)25人の皇子、9人の姫がいたらしいです。この6人の奥さんはそれぞれ有力な豪族の出なので、その豪族の長は皇帝と共に国を動かす重要なポストに就くことができるのです。つまり、たくさんのお金と軍を持った豪族を親戚として向かい入れることができて始めて、国を他国からの侵略から守ることができ、城や砦を作るときにもお金を出してくれることができるみたいなのです。皇帝が持っているお金や軍って実際はどのくらいあったのでしょうか?その出どころは?みたいなのは、調査中です。もちろん、奥さんだけでなく、設けた子供を通しての親戚関係というのもあるので、それが皇帝をより強くしていくのです。複数の奥さんの格付け(優劣)も実家の有力度や出身などが深くかかわっていますし、その子供もそれに即しているわけです。こんなシステム、江戸時代の徳川家では聞いたこと、ありませんよね?確か正室は必ず貴族や皇女でしたけど、側室はなんでもありで、もちろん大名の娘なんかもあったとは思いますが・・・その実家の大名が重要なポストにつき、将軍からお金と軍をあてにされる、というのはなかったと思います。この根本的なシステムの違い、なにかわからず、気持ち悪いので引き続き調べていこうと思います。