「全員、片思い」を衝動的にみて・・・

 〇mazon 〇rimeのビデオを多用して、いろんなドラマや映画を見ているのですが、何気なくチェックしていたら、今月中で特典がなくなるというので、衝動的に急遽見る羽目になりました。まあ、2時間くらいだからいいか?と2日間かけてみました、「全員、片思い」。

 私はあまりオムニバス形式のものを見る方ではないのですが、7つの片思いのお話がセットになっています。すべてが最後に統合される、なんてそんなしゃれたことはなく、ただ淡々と、いろいろな形の片思いが綴られています。高校生の若き頃、社会人になりたての頃、LGBT系、高齢の片思い、障害を抱えたかた、とまあ、いろいろです。

 でもね、もともとラブコメツンデレ、胸キュン大好きの私としては、すべてが消化不良でした。だって、片思いストーリーを語って終わるだけなんですもの。そこで告白して、〇〇になりました、なんてことはなく、ご想像にお任せします、ってタイプなのです。すべてがhappy endである必要はないですが、やはり片思いという尻切れトンボで終わるのはつらいです・・・。だって、現実の世界では必ず終わりがあるものでしょう?それともないものもあるのか?

 後は、オムニバス形式だけに、ひとつのお話が10数分程度で簡潔に完結を迎えるわけで、これもいまひとつ踏み込みが足りない要因。恋愛って、とても複雑な感情の連続で、それが些細なことやいろんなことが要因で、形を変えたり、動き出したり、予想のつかない展開になることがある。そういうことを乗り越えて、結びがあるわけで、それをこんなにも人は求めていて、それに人生が振り回される人だっている。そういう人生における大イベントをそんな10分くらいで語られるのがちょっとさびしい。もっと、気持ちを込めてほしいと思ってしまいました。

 ただ、片思いの連続なので、胸キュンだけはお約束できます。その胸キュンがどう収まるかはよくわかりませんが。私のは、なんとなくフェードアウトかな?だって結末がないから、時間と共に消えていく・・・しかなかったのでしょう。

殺陣を見ていて思ったこと

 時代劇、結構好きです。小学6年生のころからほとんどのNHK大河ドラマは見続けていて、時代劇の舞台を見に行ったこともあるくらいです。民放で放映されていた時代劇もほとんど見ていました。最近、その放映が激減してしまい、お正月の時代劇すらなくなってしまったことに心を痛めています。時代劇はやはり日本の文化であると同時に、これを撮り続けないと、俳優さんたちも演じることができる人が少なくなっていってしまうと危惧しています。現にそのいうルートで知りえた大御所と言えるベテラン俳優さんたちが次々にお歳で亡くなっていき、寂しさを感じ始めています。新しくデビューされる俳優さんが毎年いる中で、是非時代劇の火を絶やさないでほしいと切に願います。

 で、その流れもあり韓流系や中華系の時代劇も好きで見ることが多々。時代的背景や文化的な知識はまだまだ乏しいため、ちゃんと理解するには至ってないことも多いですが、日本のルーツを感じたり、違いを感じることもできるので、結構好きです。その中、いつも不思議に思うのが、

 

韓国の殺陣ってとてもスピーディーであきらかに日本の武士道の呼吸と異なる。豊臣秀吉の時代に当時の韓国を攻めた、という史実があるが、本当に闘えたのであろうか?

 

 韓国の歴史ドラマに登場する、数々の殺陣は、いつも息を止めて見入ってしまうほどスピーディーで、軽やかで、激しく、重いもののように感じます。刀剣も太く、重そうで、とても腰にさしておけるようなものではありません。刀剣同士がぶつかったときの音もすさまじいものがあり、がちゃーん!とあの力であの太さのものがぶつかりあった瞬間でも折れないのは、それだけ太くて大きいものを振り回しているかだと思わざるをえません。また、動きそのものもとてもアクロバティックで、まあ、中には忍者のように軽やかに屋根や木などを飛んだり跳ねたりするものがあり、あれはワイヤーアクションだな、とリアリスティックにかけているものもありますが、あの太い刀剣を振り回す呼吸、その太いのをぶんぶん振り回しながらの飛んだり跳ねたり、転がったり、壁を蹴ったりと、まあ派手で賑やかな動きです、韓国の武道というのでしょうか?

 それに対して、わびさびを大事にして、武士道なる静なるものを軸とする日本の武道は、ご存知のとおり、刀剣が細く長いです。刀剣がぶつかり合うときの音はよく「カキーン」と表現されるくらい、細いものです。腰にぶら下げることができ、すっと抜くことができるほど美しさを象徴するようなものです。相対したときは、お互いの刀剣の先が数センチ触れるか触れないかくらいのところで見合って、呼吸を静かにして相手に静かに切り込んでいく、という静寂を重要視するようなイメージです。刀剣が比較的軽いものなので、大げさなアクションも必要なく、もちろん壁を蹴ってなんてシーンも見たことはありません。それはむしろ忍者の範囲、くらいに分類わけされている気がする。

 こんなに動と静のイメージが強いお互いの武道ですが、これが本当に相対したとき、同等に戦うことができたのだろうか?と時々テレビの殺陣を観ながら首をかしげてしまうのです。単純に、あの刀剣の太さをみただけでも、刀剣がぶつかりあった瞬間、韓国の太い刀剣にぱき!と日本の刀剣は折られてしまってもしょうがない、刃が立たないとはこのこと、と思いたくなります。動きにしても、静を是とし、静かに構えていても、壁を蹴って斜めから攻撃されたらいちころだ、と思いませんか?まともに刀剣で相対したときは、とてもかなう相手には見えないのです。

 史実を疑っているわけではありません。それだけが闘いではないので、遠隔攻撃の技術が優れていたとか櫓や砦などの建造工法技術が勝っていたので、総合的に勝ち得たのかもしれません。忍者をたくさん登用して、奇襲を繰り返した?とか。まあ、そのあたりを知るすべはなさそうですが、みていてちょっと疑問に思ったことを記してみました。

 

 

【ネタばれあり】今更だけど、「私の人(もの)」の意味

この1か月間?まだ夏休みも終わっていないころでしたが、なんかまとめてドラマをみるのが習慣の私は、なんといっぱい見た気がします。寝不足やら準徹夜なんてこともしばしば。おかげでいろんなストーリー、キャラ、俳優さんがごちゃごちゃになってきています。でも、やっぱりやめられない!

 

「恋がヘタでも生きていきます」(再)

「そろばん侍」

「今週末、妻が浮気します」韓流

「麗ー花萌ゆる8人の皇子たちー」(再)韓流 ★

「アテンションLOVE」台湾(見途中)

「未生ーミセンー」韓流(見途中)

「輝くか、狂うか」韓流 ★

「ステキな片思い」(再)韓流 Webドラマ 

「はぴまり」(再)Amazon Original ★

「ラストチャンスー再生請負人ー」

「高嶺の花」(後最終回のみ、かつ間少しスキップ)

「アイドゥ・アイドゥ」韓流(見途中)

「Unforgettable2」米国ドラマ(見途中)

 

これ以外にも、今NHKの朝ドラ「半分、青い」もオンタイムで珍しく毎日見ていたりします。見だすと、先が気になるように作られていて、止められず、準徹も・・・。見途中がこんなにも同時にあると、忘れてしまうんじゃないかと自分でも心配になります。過去に見終わったはずなのに、何かがきっかけでまた見てしまう・・・という(再)もこわい・・・。

 

ツンデレのラブコメが一番好きですが、推理もの、ビジネスものなど、現代、時代劇、問わず、怖いもの以外は結構見ちゃいます。ずっと甘いのも甘ったるくなるし、頭をフル回転させ続けるのも疲れるので、気分転換替わりにあちこちと・・・。

 

で、すごーく気になったのが

「私の人(もの)」

というセリフ。★の中にでてきているのです。他にもでてきたかもしれないけど、ものすごーく意味深にがっつりでているだけで、この3本。偶然とはいえ、頻度の高いセリフなの?とちょっと考えてみました。

 

このセリフ、当たり前といえば当たり前ですが、必ず男性が女性に対して発します。翻訳だと「人」や「女」と書いてルビで「もの」と書いたり、「私の女」と言い直したりします。まだ相思相愛になる前、自分以外の男性と揺れている時など、意中の相手への強いアピールの形として。胸キュン大好き派としては、きゅん!となるのですが、冷静になると、いろいろと考えちゃいます。

 

こんなセリフ、今どき使うのかなぁ?口が裂けても言わなさそう・・・。

言っている本人は、めっちゃ照れ臭いだろうな・・・。うちのダンナは言わないな。

どうしてこんな照れ臭いことをわざわざ言わなくてはならなかったのだろう?他にないの?

ドラマ制作側の胸キュン#1、かつ安易な表現方法だったりして?

自分だけを見てくれているという意味ではいいけど、モノ扱いされてるとも思える。

束縛するための常套句?冬彦さんか?

亭主関白&良妻賢母街道の始まりか?

 

じゃあ、実際にこのセリフが使われたドラマで、その後どうなったかというと、3編とも結ばれ、はっぴぃえんどです。あ、一部、相思相愛だけど早く死んでしまったり、相思相愛だからこそ別な道を歩いてお互いを尊重しましょう、みたいなのはありますが。つまり、このセリフで意中の女性を釣る(なんてちょっと下品な表現ですみません)には成功率100%の常套句なのかもしれません。ならば、これをもっとこの世の中でも乱用(ってそれも失礼ですが)した方がうまく収まるのでしょうが、あまり現実的ではないように思う。なぜか?

 

やっぱり、男性側に照れという精神的な負担がかかるため、そう簡単に言えるものではない

とはいえ、言い方やシチュエーションによっては「所有物」の意味も含ませられるので、上から目線で偉ぶることができる

結婚とは対等な関係である、ことを是とするカップルにとっては、この上下関係に値する表現で落とすことはできない

「私の人になってください」になると、かなり下からになり、威厳が感じられない

 

ん?威厳?男性側が常に大事とするプライドのことか?メンツとか?確かに、ドラマの中でこのセリフを発したその瞬間はオレ様的な態度で迫っている時が多いかも。やはり、威厳の象徴なのかもしれない。現実的でないのは、草食男子とかゆとり世代、さとり世代、専業主婦なんて死語、共働き当たり前に象徴されるような男性のやさしさが強調される時代になってきたから、女性進出も当たり前のこの時代にこんな威厳を象徴するだけの言葉なんて現実的ではないということか。

 

そういえば、昔は「黙ってオレについてこい」みたいなのに憧れた。結構気が強くて、帰国子女の私が「黙って」いられるはずは絶対ないのに、なぜかオレ様的な恋愛に憧れたし、それがプロポーズだといいと思い描いたことも何度あったか。いわば昭和的な表現なのかもしれない。今は、「私の人」とドラマ上で使うけど(今どき「黙ってオレについてこい」というセリフは聞いたことがないぞ)、要は時代、時代で表現のされ方の違いがあるだけで、やはりこの「男の威厳」を強調したいセリフなのかもしれない。

 

でもね、このセリフがあるとかないとかに関係なく、ひとつだけわかってしまったことがある。そんなこと当たり前じゃん、とか今頃気が付いたの?とか言われてもおかしくないんだけど・・・

 

結婚という恋愛の次のステージに昇格?移動?するためには、男性側の覚悟が必然的

 

フィクション、ノンフィクションに関係なく、これは真実だと思う。真理に近いかも。男性が「この人とでなければ結婚しない、したくない」と心底、気持ち120%思わない限り、どんなに女性側が望んでも、切望しても、命をかけても結婚や結婚生活は成就しないのです。まあ、実際に統計をとったりアンケートで調べたわけではないのですが、ドラマの展開や実話を総合的にみると、やはりこれは共通して言えるのではないかと思います。

 

(女性の社会進出とか女性の人権尊重!とかいう活動家や思想家ではありませんが)やっぱり、結婚においては、女性は男性に「この人」と思われなくてはならないのでしょう。女性が強いとか弱いとか受け身とかではなく、70億ともいわれる人間がこの地球上に存在している中で、男性は「この人でなくてはならない!」と思った相手としか興味がないし、結婚しないのではないかと思うのです。

 

その表れが「私の人」だったり「黙ってオレについてこい」だったりするのでは?と思うこの頃なのです。つまり、現実社会においてはなかなかでてこないこの言葉ですが、もし男性にこれを言わせたら、勝ち!なんですよ、相手が好きだったらね。嫌いだったら、ストーカーですから、不幸の始まりなんです。そう!ストーカーですよ。女性のストーカーより、断然男性の方が多いのは、DNA上に埋め込まれた性差格差のひとつかも。そういう思い込み、勘違い(に等しい)に支配されてしまったり、異常すぎる行動に発展しすぎた故。支配欲みたいな。

 

男女平等と言われる現代社会において、そんな一方的な思い込みもいかがなものかと思いますが、でもやっぱりそれがうまくことを進めることにつながるのであれば、それはそうなんでしょう、としか言いようがない。そういう成り行きみたいにゆだねるしかないのかも。

 

でも、やっぱりダンナにそう言ってもらってほしかったかもな~

 

(勝手な自論の展開です。裏付けも参考もまったくしていません。私の勝手な思い込みであることをご承知おきください)

【ネタばれあり!】「輝くか、狂うか」を見終わった(その1)

 私は、1年半前くらいに、韓国歴史ドラマの「麗」というのを見て、ちょっと感動しました。これは、高麗時代の初期のお話です。主人公のワン・ソといういずれ「光宗」という皇帝になるお話ですが、光宗皇帝というのを初めて知ることになり、いろいろと興味を持ちました。ただ、あくまでも史実の残っていることは点だらけ。それらをうまく取り込み、イケメン俳優をふんだんに投入した現代風なアレンジやらラブコメなどもあって、なかなか面白かったです。

 この「輝くか、狂うか」も同じワン・ソが光宗皇帝になるまでのお話なんだけど、また全然違う視点と雰囲気で描かれているのが興味深かったです。俳優さんももちろん違うし、恋愛の相手も全然違う。

 結局のところ、ワン・ソが皇帝になるために献身的にサポートした?支えた?女性がいたのか、いなかったのかはわからないけど、それが仮にいたら・・・というのがどちらにも共通するテーマなわけです。前者は現代からタイムリープ、後者は同じ時代のやり手の商人。個人的にはどちらもストーリー的には好きでしたね。「麗」についてはまた語る機会があればと思うのですが・・・。

 「輝くか、狂うか」は何が面白いか?それは光宗皇帝がいろんなプラスの改革をその時代しては初めて行ったため、名君と言われることもあるのですが、その反面「血の君主」とも言われているのも事実なのです。なぜ、この相反する2つの表現がこの皇帝にはあるのか?それが、このドラマの中では「血の君主」にならなくてはならない理由が語られているのです。

 「血の君主」というと血なまぐさい跡目争いの末になった君主というイメージがありますが、そうではないのです。豪族によって私物化され始めている国を皇帝の元に統治させ、民のための国家を作るためには血を流すほどの改革と決断力が必要だった、ということなのです。普通は、名君、聖君とうたわれたいのでそんなことを敢えて歴史に残すようなことをしないのが賢明といえるのでしょうが、権力が薄れつつある皇帝の存在、家畜のように扱われる民を見るに見かねての決断だったのです。そういう意味では、「血の君主」は必然的で、聖君の別名といってもおかしくないのではないでしょうか。

 ・・・というのが、この「輝くか、狂うか」のテーマであり、そこまでの経緯を語ったのがこのドラマなのです。ただ、残っている史実はわずかなため、実際はどうだったのか、なぜ「血の君主」にならざるを得なかったのかは本当のところはわからないですね。

 さて、キャスティング的なことに触れたいと思います。ワン・ソにチャン・ヒョク。ヒロインのヤン・シンユルにオ・ヨンソ。チャン・ヒョクは、「運命のように君を愛している」を見て知っている俳優さんで、とても大声で声を響かせるようにユニークな笑う方をする人です。少々下品に映るかもしれませんが、これがコミカルな側面を見せていると思います。でも、芯は太く、体もがっしりしていて、雄々しいけど、イケメンといううらやましい限りですね。(私の好きなタイプ♪)おそらくドラマの中でのアクションシーンもかなりこなしているのではないかと思います。結構頻繁に飛んだり跳ねたり、馬に乗って走り回ったり、大きな刀を振り回しています。これだけ時代劇の少なくなった日本と比べると、韓国の若手俳優さんはなんでもできないと出してもらえないのではないか?という事情すらうかがえます。器用な俳優さんが多いと思います。オ・ヨンソは、私は初めて見る俳優さん。なんかどっかで・・・と思うところもありますが、いかんせん韓国の方のお名前がどうにも覚えられず(好きなチャン・ヒョクすら怪しい)、あーあのドラマに出た〇〇ね、で覚えているくらいなので。

 後はこのドラマを観る上で重要な文化的、歴史的な事情をひとつ。韓国の歴史ドラマを観ていると、いつも思います--皇帝が意外に弱い。奥さんに頭が上がらない、奥さんの実家がすぐにしゃしゃりでる。記憶に一番新しい徳川幕府の江戸時代と比べても、なぜこんなに皇帝が弱いのかわかりません。皇帝の強さというのは、婚姻をした奥さんの実家次第ということなのです。

 その証拠に、高麗を建国した太祖(たいそ、もしくはワン・ゴン)は、婚姻でしか皇帝としての権力を維持することができず、なんと記録上でも6人くらいの奥さんと婚姻していて(29人くらいいたのではないかという説も)25人の皇子、9人の姫がいたらしいです。この6人の奥さんはそれぞれ有力な豪族の出なので、その豪族の長は皇帝と共に国を動かす重要なポストに就くことができるのです。つまり、たくさんのお金と軍を持った豪族を親戚として向かい入れることができて始めて、国を他国からの侵略から守ることができ、城や砦を作るときにもお金を出してくれることができるみたいなのです。皇帝が持っているお金や軍って実際はどのくらいあったのでしょうか?その出どころは?みたいなのは、調査中です。もちろん、奥さんだけでなく、設けた子供を通しての親戚関係というのもあるので、それが皇帝をより強くしていくのです。複数の奥さんの格付け(優劣)も実家の有力度や出身などが深くかかわっていますし、その子供もそれに即しているわけです。こんなシステム、江戸時代の徳川家では聞いたこと、ありませんよね?確か正室は必ず貴族や皇女でしたけど、側室はなんでもありで、もちろん大名の娘なんかもあったとは思いますが・・・その実家の大名が重要なポストにつき、将軍からお金と軍をあてにされる、というのはなかったと思います。この根本的なシステムの違い、なにかわからず、気持ち悪いので引き続き調べていこうと思います。

 

テレビや映像が好きな世代だからかな?

 1歳半のとき、父の転勤で2年くらいかな?海外に住んでいたことがあります。その時は、英語がペラペラになって帰ってきたらしいのですが、日本に帰ってくるやいなや、テレビにかじりついた?くぎ付け(確かまだ白黒のはず)になり、覚えたはずの英語がわずか3か月ですべて忘れるくらい、テレビに夢中になったそうです。海外ではなかったテレビ番組が面白すぎたのでしょう。

 あれから何十年たったのでしょうか。いまだにテレビや映画など、ストーリー性のある映像が大好きで、安い娯楽と言われればそれまでですが、まだ見てるの?飽きないね~と言われてもおかしくないほど、ほんとに好きです。

 学生の頃は毎月一本の映画を見るんだと映画館に通ってみては、一丁前にノートで語っていました。社会人になると、毎週末ビデオを借りてきては2-3本ずつ観ていきましたね。今は、もっぱら民放やインターネットの無料動画配信系で見られるときに片っ端から見たいと思うものを見ています。夜更かししても観ちゃいます。

 好きなジャンルってないかな?と思うけど、やっぱりあるんでしょう。アメリカの映画やドラマ、日本の映画やドラマ、最近は韓国の映画やドラマにもはまりだしました。時々中華系も?ラブコメや恋愛ものが一番好きかな。胸キュン!とかツンデレとか。歴史ものも好きですよ。小学生のころから大河ドラマとか見ていた人なので。ホラーとかは基本NG。シリアスな社会問題性の高いものも時々見ます。推理ものとか刑事ものとかも観る。ちょっと小生意気な口調が特徴だったりすると結構好き。例えばNCISとかね。

 民放ならとにかく録画をひたすらしまくって、最終回の放映が終わるとまとめてどかーっと見る。毎週とか毎日とか待ちきれないときがあるから、まとめ観派。だから少しタイムラグが起きる。

 最近の傾向としては、日本のドラマがイマイチですね。ため撮りしてもそのまま1話だけみてまとめてぽいっとゴミ箱にしてしまうこともあります。あ、さっきもした。夢がないっていうか、つまらないなーこういう夢のない現実を叩きつけるようなの。

 その点、韓国ドラマは、半分こんな設定ありえない・・・また?とか思いながらもカッコイイ、カワイイ、ストーリーの展開が面白すぎて、ついつい見入ってしまいます。でもね、韓国ドラマの最大の問題・・・長い。最低でも20話とか。つまり20時間は費やさなくてはならない。これはちょっと重いなーって思うのは長さで諦めてしまうこともしばしば。今までで一番長かったのは、イ・サンの77話かな?これはNHKさんで流れていたので、1年以上かかっていることになる。いやーこれはしんどかった、面白かったんだけど。最近、ちょっと調べものをしていたら、200話なんていう大作の歴史ものがあるらしい!毎日1時間ずつみても、7か月弱かかるんだよ!1話の展開スピードってもしかして、スラムダンク並み?とか考えちゃう。あ、それとなぜか韓国の俳優さんの名前が覚えられなくて、困ってます。顔は浮かぶけど、名前が・・・。カタカナの羅列にしか見えないんだな。なんとかせねば・・・。

 ま、そんなこんなで、昔からノートなどにつらつら偉そうに書いていたのをなんとなくブログでやってみようかな?と思った程度です。あくまでも個人的な見解、コメント、勝手な思い込み。そして観終わったときの感情をうまく表現できたらいいなーくらいにしか考えてません。