殺陣を見ていて思ったこと

 時代劇、結構好きです。小学6年生のころからほとんどのNHK大河ドラマは見続けていて、時代劇の舞台を見に行ったこともあるくらいです。民放で放映されていた時代劇もほとんど見ていました。最近、その放映が激減してしまい、お正月の時代劇すらなくなってしまったことに心を痛めています。時代劇はやはり日本の文化であると同時に、これを撮り続けないと、俳優さんたちも演じることができる人が少なくなっていってしまうと危惧しています。現にそのいうルートで知りえた大御所と言えるベテラン俳優さんたちが次々にお歳で亡くなっていき、寂しさを感じ始めています。新しくデビューされる俳優さんが毎年いる中で、是非時代劇の火を絶やさないでほしいと切に願います。

 で、その流れもあり韓流系や中華系の時代劇も好きで見ることが多々。時代的背景や文化的な知識はまだまだ乏しいため、ちゃんと理解するには至ってないことも多いですが、日本のルーツを感じたり、違いを感じることもできるので、結構好きです。その中、いつも不思議に思うのが、

 

韓国の殺陣ってとてもスピーディーであきらかに日本の武士道の呼吸と異なる。豊臣秀吉の時代に当時の韓国を攻めた、という史実があるが、本当に闘えたのであろうか?

 

 韓国の歴史ドラマに登場する、数々の殺陣は、いつも息を止めて見入ってしまうほどスピーディーで、軽やかで、激しく、重いもののように感じます。刀剣も太く、重そうで、とても腰にさしておけるようなものではありません。刀剣同士がぶつかったときの音もすさまじいものがあり、がちゃーん!とあの力であの太さのものがぶつかりあった瞬間でも折れないのは、それだけ太くて大きいものを振り回しているかだと思わざるをえません。また、動きそのものもとてもアクロバティックで、まあ、中には忍者のように軽やかに屋根や木などを飛んだり跳ねたりするものがあり、あれはワイヤーアクションだな、とリアリスティックにかけているものもありますが、あの太い刀剣を振り回す呼吸、その太いのをぶんぶん振り回しながらの飛んだり跳ねたり、転がったり、壁を蹴ったりと、まあ派手で賑やかな動きです、韓国の武道というのでしょうか?

 それに対して、わびさびを大事にして、武士道なる静なるものを軸とする日本の武道は、ご存知のとおり、刀剣が細く長いです。刀剣がぶつかり合うときの音はよく「カキーン」と表現されるくらい、細いものです。腰にぶら下げることができ、すっと抜くことができるほど美しさを象徴するようなものです。相対したときは、お互いの刀剣の先が数センチ触れるか触れないかくらいのところで見合って、呼吸を静かにして相手に静かに切り込んでいく、という静寂を重要視するようなイメージです。刀剣が比較的軽いものなので、大げさなアクションも必要なく、もちろん壁を蹴ってなんてシーンも見たことはありません。それはむしろ忍者の範囲、くらいに分類わけされている気がする。

 こんなに動と静のイメージが強いお互いの武道ですが、これが本当に相対したとき、同等に戦うことができたのだろうか?と時々テレビの殺陣を観ながら首をかしげてしまうのです。単純に、あの刀剣の太さをみただけでも、刀剣がぶつかりあった瞬間、韓国の太い刀剣にぱき!と日本の刀剣は折られてしまってもしょうがない、刃が立たないとはこのこと、と思いたくなります。動きにしても、静を是とし、静かに構えていても、壁を蹴って斜めから攻撃されたらいちころだ、と思いませんか?まともに刀剣で相対したときは、とてもかなう相手には見えないのです。

 史実を疑っているわけではありません。それだけが闘いではないので、遠隔攻撃の技術が優れていたとか櫓や砦などの建造工法技術が勝っていたので、総合的に勝ち得たのかもしれません。忍者をたくさん登用して、奇襲を繰り返した?とか。まあ、そのあたりを知るすべはなさそうですが、みていてちょっと疑問に思ったことを記してみました。